
ちょっと前の千葉市稲毛海岸付近の地図である。
中央にササカマボコみたいな形の「海洋公民館」というのがある。これは稲毛海岸が埋め立てられる時に、船をつないだままその周囲の海を少し残して埋め立て、船体を公民館として使っていたものだ。いわば陸封された船なのだが、今はもうない。
先日、このあたりを10年ぶりで通りかかった。すでに海洋公民館は解体撤去されていることは知ってたのだが、いざ下のような風景を見ると、ああほんとにもうないんだな、と少し寂しい気がした。何か別のものが建っていればまた違って見えたのかもしれないが、ほんとに何もなくなってしまったので、うすら寂しい。

解体しちゃったものは仕方ないか。以上終わり、なんだけど、そういえばそのことを昔、ウェブサイトに書いたぞ、という余計な記憶がよみがえってきた。もちろん当時はブログなんて便利なものはないので、更新のたびにHTMLファイルを書き足していた。あれはどうなったんだろう。サイトが複雑になったのを嫌って、何かのタイミングでばっさり消してしまったものだったか。よせばいいのに昔のMOディスクなどを漁って、控えのファイルを発掘し、サーバに上げ直してみた。別に生産的な意味は全くない。何となく、だ。夏の日の心の迷い、というやつだ。

当時の写真↑。
先日撮った写真と、背景の団地(高洲第二団地)がおんなじ位置に来たのは意図せぬ偶然。まだデジカメ化以前で、フィルムスキャナで読み込んでウェブの日記に貼る写真なんて、こんなサイズだったよ。ポジからだとスキャン画像はこのようにコントラストが高く、つぶれて大変だったことを思い出した。もう一度読み直そうにも、手元にフィルムスキャナーがない。
http://www.kohan-studio.com/org/texts/maibotsu/9711/maibotsu.html
リンク張っては見たものの、わざわざ読みに行くのも面倒と思うので、上げ直した当時の日記から自己引用してしまおう。
手前の船は千葉市海洋公民館。昭和19年に海防艦「志賀」として誕生し、その後博多〜釜山の米軍連絡船、中央気象台定点観測船、海上保安大学校練習船を経て昭和40年に廃船。千葉市が払い下げを受けて改装し、翌年公民館として利用開始した。これだけであればまあまあありそうな話で、わざわざ見にいくようなものでもなかろう。面白味は、この船の公民館が係留されていた稲毛海岸一帯が、昭和44年から埋め立てられてしまうところにある。この船の周囲だけ海を残して、周囲が埋め立てられてしまったわけである。今でもこの船は、海岸線から2キロほど陸側で海に浮かんでいる、という構図だ。1万分の1の地図であれば、全長79メートル足らずのこの船の形状は、しっかり地図上に刻み付けられてしまう。地図に捕捉されてしまった船というのも、何だか微笑ましいような情けないような姿ではある。
実際に行ってみると(10月10日)、思っていたほど違和感はなかった。一応海だと信じていた船の周囲も、やはり本当の海であるわけもなく、申し訳程度の深さの水たまりにすぎない。つまりすでに座礁しているのだ。水もなめてこそみなかったが、おそらく隣のプールと同じ出所の水なのだろう。そりゃそうだろう。周りは住宅団地なのだ。安全を考えないわけにはいかない。現在、公民館としての利用は停止しており、あるいはこのまま解体されてしまう運命なのかも。(1997/11/1)
今はこの船の名前「こじま」だけが公園の名前になって残っているんだけど、何が「こじま」なんだか何でここに船があったのか、とかそういうことはどんどん忘れ去られていくわけだ。船が載っていたプールの部分だけが少し低地になっていて、「環境ノイズ」になっている。
志賀 (海防艦) - Wikipediaによると、この翌年(1998年)に解体されたんだそうな。